「おいアイツらホントに俺らと同じ世代なのか?なんかオッサンっぽいぞ」
って連中相手に押し合いへし合いサッカーやるってのは、なかなかにハードだ。多分普通のサラリーマンが出張に行くのの何倍も疲れるだろうし、本来の力の8割も出せればいいものだろう。
それでも扇原と螢はいい!と、うなるようなプレーをしていたよ。
扇原はボールが落ち着かないと、左サイドバックが上がる後ろにすっと入り込んでセンターバックからのボールを呼び込んでた。セレッソでボールが回らない時にマルチネスが上本と組んでやるアレだ。
それ以外のシーンでも、ああ、マルチネスのいいところを真似しようとしているな、というのはよくわかったし、少なくともあの年代同士であれば通用するクオリティだった。それはいいことだ。2ゴールともいい感じに絡めていたし、日曜に試合がなければ、成田から柏まで直行してほしいくらい。残ったボランチでアレほど激しくボールに絡めるのは藤本ぐらいで、彼はセンターバックとして計算されているからな。
もう一人、螢は後半から出てきたけれど、与えられたタスクを十分こなしていた。ゴラッソ!セレッソで紹介していた、相手とボールとの間に腰を落として入り込むインターセプトをコツコツと続けていて、これもまたよく効いていた。
こちらはさながらアマラウのような感じで、センターバックと3シャドーの間にある嫌なスペースに人とボールが入ると、ことごとくそれを潰しにかかっていた。チームでも長く練磨してきた扇原とのコンビネーションだから、やりやすかったろうしね。
最初に言ったように、人として若いあの年代が、世界中のどこでもいいコンディションで試合をするというのは難しいものだ。ハナサカクラブの説明会などに足を運ばれている人なら、わかるでしょう。
それが二人ともできたということが、セレッソにとってのプラス。このまま伸びてくれば、来年もその先も、少しは安心して考えられる。一昔前なら信じられないようなことだ。
若手を育てたのは、レヴィーと、チームスタッフのがんばりのおかげ。この原石達が光り輝くよう育てていくのは、彼らに対する最低限の礼儀だし、義務だ。