写真は好きだ、とても好きだ。
大家が撮ったものでも、誰が撮ったのかわからないものでも、何気ないものでも、決定的なものでも、いろんな写真がすきだ。
一方で、写真をカテゴライズするのはおかしいと思っている。特に商業ベースの広告写真でもない限り、写真にカテゴリーは意味が無い。
そこに写っているのが何かとか、何で撮ったかとか、それで分けて世界を狭めるのは、寂しい。
一番酷いのは、誰が撮ったかで分けることだ。素晴らしい写真家でも失敗はするだろうし、どこの誰とも知らぬ人が撮った写真でも歴史に残るようなものはある。
ガーリーフォト、とか女子カメラなんていうのは、本当にひどい。同じ写真が二枚あるとして、撮ったものの性差で分けて、何があるのか。
仔細に言うと、女性の心を動かす写真とか、女性的な写真というのは、あると思う。ただ女性が撮ったからといって価値が変わる写真というのは、意味が分からない。
そういう気持ちでいたので、「東京エスカレーターガール」というサイトの「
いまこそカメラ女子が撮るべき危険な被写体まとめ」なんて記事は、神経を疑った。
カメラを構えた女子にどういうわけか世間は甘い。
なんて文章を書ける人が、世の中にはいるのだな。
本当に撮りたいのなら、どうしても撮りたいのなら、それがなんであれ、自分が何者であれ、撮るべきだ。
これはカメラの話ではない。性差別、性差による優遇を自慢しているだけの戯言だ。そしてそれを是としてみんなも率先してこの優遇を受けろと吹聴している悪文だ。
こういうのはジェンダーフリーというのだろうか?そうでないと願いたい。もしそうだとしたら、俺は喜んで性差別主義者になるよ。
posted by 西中島南方 at 11:00
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