試合終了の笛がなった瞬間から、頭の中でわずかに残っていた悔しさ。そいつが空っぽの頭の中にちんまりと座っている。今まで何度も味わってきた「あと一歩だったのに」という感情とは違う、アウェーの理不尽さや酷い扱いに対する怒り、それに近い。
それでも、俺達は勝つために全力を尽くして戦って、そしてそれに届かなかったという事実が残る。もしこの怒りを正しく吐露するのであれば、どんなことがあったとしても勝たなければいけない。勝った上で語らなければ、届かない言葉がある。
サポーターは、サポーターと自称する人は、チームを強くするために、もっと頑張らないといけないのかもしれない。今から極論を書くけれど、少しだけ付き合って欲しい。
チケットを買ってスタジアムに足を運ぶ、グッズを買うというのは、サポーターも一見さんも同じ。ならサポーターと観客の間にあるものは何なんだろう?金額はもちろんだけれど、意識みたいなものも関係してくるんじゃないかと思う。
例えば、高い席に座って、ずっと野次っている人がいる。あれはサポートなんだろうかと考えたことがある。確かに高いチケット代を払って試合を見るのは経営としてはありがたい。でも、チームが勝つために野次が必要なのかということ。キンチョウスタジアムなんか、芝かぶり席やスタンドの前列ならサイドの選手の耳に野次が届くことは簡単にわかる。それが勝つために必要な要素なのか?
動員の時でも、自分のまわりが窮屈になるという人がいる。たくさん人が来て、サポーターを増やす機会だと言う人は、あまり知らない。そこで文句を言うのか、新しい仲間だと歓迎するのか。サッカーのサポーターは熱くて、激しいイメージがつきまとって、スタジアムに行くまでにかなりの動機づけが必要なんじゃないかと考えている。そうしてきた人が閉鎖的な世界だと認識して、それでまた来たいと感じるかということ。こういう一つ一つを変えていかないと、気軽に長居に行きましょうなんて雰囲気は作れない。それが積もっていけば、観客数は伸びないままだ。
お金がなければ、チームは強くならなくて、新規顧客やスポンサーは離れていく。弱ったチーム、寂しいスタンド、野次ばかりが届く試合なんて、たまらない。
もし俺はサポーターだと言うのであれば、そういう心がけひとつ変えられないものか。少しずつでもチームを良くしていくために、自らもチームの一員という意識を持てないものか。残念ながらセレッソには強大なバックボーンがついているわけではない。いい若手は海外に、外国人選手は他チームに移籍していくのが常になってきている。その流れに歯止めをかけて、村田や、今日入団が決まった吉野のように、セレッソでプレーしたいという選手が活き活きとプレーできる環境を作りたい。その第一歩は、俺達から踏み出すべきなんじゃないだろうか?