大阪では梅田の映画館で夕方ただ一回の上映だったけれど、逆にそんなシチュエーションが妙に貴重に感じて、それから9割方できている大阪駅の大鉄傘も見たくて、寒風の吹きすさぶ街に飛び出してみた。
ワーレントラス構造の大鉄傘はそれは見事で、別に下の中央口や御堂筋口から出ればいいのに、わざわざホームの上に据えられた乗り換え用の渡り廊下まで登って写真を撮っていた。
そうしたら、インド人の家族に「オー、ウー、サンジュウニバンノリバハ、ドコデスカー?」と道を聞かれてしまった。
厳密に「インド人ですか?」と聞いていないから、ひょっとしたらマレーシアの人だったかもしれない。バングラデシュ?そんなインド映画に出てきそうな二枚目のおじさんと、美人の奥さんと、小さな子と、赤ちゃんの4人家族が、遙か異国の地で寒空の下途方にくれている。これはさぞ心細いだろう。iPhoneとそばにあった構内図(これが日本語と英語しか無くて不便だった)と、カタコトの英語と、カタコトの日本語を駆使して何とか中央口までエスコートした。お父さんは不安そうな顔を家族に隠して、家長として凛々しく振舞っていた。こういうのは万国共通なのか。
さて、この「酔いがさめたら、うちに帰ろう。」も、宣伝では精神疾患やアルコール依存が表に出ているけれど、ベースとなっているテーマは原作者と元妻、そして二人の子供の、切れそうで切れない、細く、しかし強い、家族の絆だ。酒に囚われ、暴力に振り回され、病に悩みながら、それでもお互いを愛している家族愛があるから、あらすじだけ見れば殺伐としているこのストーリーが、こんなにも温かくて、切なくて、優しくて、泣けてくる。
精神疾患の入院治療は、それは仕方が無いのだけれど、当人にとっては孤独で、理不尽なことばかりだ。本作ではカレーがなかなか食べられないという下りで表現されているあたりは、観ている人にとっては笑い話でも、本人にすれば辛い辛い、苦難の道のりなのだ。それを我慢して、何ヶ月も閉鎖病棟で暮らしていくのがどれほどのことか。
それに加えて、原作者は新たな病魔に襲われる。一人なら、自暴自棄になっていてもおかしくない。それを前向きな力に変えていけたのは、小さいながら、いびつながら、かけがえない家族がいたから。
この映画には、エキサイトする場面など何一つ無い、同じ闘病ものである「フィラデルフィア」のような苦闘の末の悲劇も用意されていない、終始穏やかで、静かなものだ。ラストシーンも、ただ波音と、子供の楽しそうな声が聞こえるだけ。それなのに、酷く心にしみた。他人からすれば小さな、ささやかな出来事を、丁寧に一つずつ織り込んで行ったからこそ、あのラストシーンが生きているのだろう。
映画館を出ると、氷雨が降っていた。北風も勢いを増していた。それでも心が随分と温かかった。今年は素晴らしい映画を観られて幸先がいい。オレタチにも、駅で会った異国の家族にも、幸せがあるように。