ただ、ここで一所懸命に努力したとしても、全員がシンジのようになれるわけではない。優劣は必ずつく。セレッソがトレーニングマッチをやっている間、他のピッチでは大阪府の社会人リーグの試合であったり、学生サッカーのそれであったり、そうしたものがこじんまりと開催されていたりした。かつてJリーグで活躍していた選手も、僅か数人の観客(見学者というべきか)の前でプレーしていた。彼等の境遇はトレセンができた今でも決して恵まれているわけではない。
そうだ、この場所は天国かもしれないが、この場所にいるからと言って全員が神様天使様になれるわけではないのだ。そうしたなり損ないの人間が、あちらこちらでゴロゴロとしていた。まだ天使になるか、人間のままでいるのか決まってはいない子供たちも、たくさんいた。サッカーの聖地、その実はいろいろな人間の生きざまの交差点なのかも知れない。何も無いように見えて、随分と残酷な時間を過ごした。