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Fri 14 Jan 2005

眞中さんお疲れさまでした。

 りんでんばうむさんのところで眞中靖夫選手の引退を知りました。疑ったわけじゃないですけれど、ご本人のサイトで改めて確認。間違いないようです。


 眞中さんってものすごい努力家で、真面目で、明るくて、子煩悩で、家族思いで、もちろん選手しても素晴らしい人なんですよ。

 どんな時でも常に全力プレー。だから口が裂けたって「もう少しがんばって下さい」なんて言えない。眞中さんが引退する、と言ったということは、本当にもう限界だったんだと思うんです。ただ「お疲れさま」という言葉しか浮かんできません。


 1999年にセレッソに移籍。その年長居スタジアムで行われたファン感謝祭で、選手が一人ずつコールされ、サポーターのいるメインスタンド前に出てきたのですが、一人だけおどけてそのままピッチに行くふりをして、みんなの笑いをとっていたのが、眞中さんでした。

 2000年の快進撃も2001年の低迷期も、ずっと中心としてチームの為にがんばってくれた眞中さん。いつもいいところでとんでもないミドルを決めたり、とにかくパワフルだった印象があります。


 2001年には柏戦でJリーグ記録になる3分間でのハットトリックを達成!あの試合は生観戦だったのですが、もうテンションが上がりっぱなしで、気が付くと涙と鼻水で顔がぐしゃぐしゃになってしまいました。


 眞中さんとは何故かスタジアム以外の場所でばったり会うことが度々あったのですが、いつもお子さんと一緒で、優しいパパの顔をしていました。本当にいい人なんだなあ、眞中さんがいてくれるだけでも嬉しいよって、その度に思ってました。

 だから2002年に心斎橋で暴行を受けた、という話を聞いたときは本当に胸が張り裂けそうな気持ちになったし、関西の野球の記事しか書けないバカ記者が「シーズンが始まるというのにそんな場所にいた眞中という選手のモラルを疑う」なんて「てめーのモラルのほうが疑った方がいいんじゃねーか!?」って記事を書いてた時は本当に腹が立ちました。(もちろん復帰の時はめちゃくちゃ嬉しかった!)


 残念ながら広島や横浜Fでのプレーを観ることはなかったのですが、現役最後のシーズンをずっと影で支えてくれていたお兄さんと一緒に過ごせたというのは、サッカーの神様が眞中さんにくれたご褒美だったんじゃないかなって感じてます。

 田坂さんと違って、まだセカンドキャリアをどうするのかという情報がないのがちょっと心配なのですが、コーチとしても十分にやってくれる人だと思いますし、テレビの解説者なんかしても絶対面白いと思います。

 これからの人生でも、多分ずっと全力プレーの眞中さん、私もずっと全力で応援していますよ!!



posted by 西中島南方 at 13:08 | Comment(0) | TrackBack(0) | セレッソ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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