確かに芸人さんは笑われてナンボの商売であるから、そういう笑いも有っていいのかもしれない。ただ娘の態度はあまり礼儀がなくて、蔑称を平気で使ったりする。見ていて心が痛くなるので注意するようにしているけれど、あまり直っていない。
一番心配しているのは彼女が人を慮ることができる大人になれないのではということだ。仮に勉強はできなくても、隣人を敬いいたわることができる人になってほしいと願い、優しい名前を探したのだけれど、父親の器量が狭いばかりに難儀をすることになった。
愛情が無い人は、それだけで不幸だ。人を愛することが出来ない人は、なかなか人から愛されることが無い。そしてそれをそれと気付かずに「ここは私にとって居心地がよくない」とひとところにいられない。しかし原因が自分にあるのだから、他の場所でも愛されなくて、結局しなくてもいい苦労をたくさん背負ってしまう。まるで荒れ野をさまよう馬のように、少ない草を食んでは次の草を探して旅をする、そして安住の場所はついぞ見つからない。傍で見ていて悲しいのだけれど、自分には何もできない。
一方的な恋なら、まだなんとかできるかも知れない、自分の中で完結するからだ。ただそこから愛を育てられないのなら、高まった好意の分だけ失望も大きいだろう。
私もその類の人間であるけれど、家内にたくさんの愛情をもらったおかげで、ようやっと荒れ野を離れることかできた。しかし娘はどうだろうか?酷く不安だ。愛のない人の不幸、愛の無い人の隣人であることの不幸。どうしたらいいだろう。