「蕎麦屋に行こう」
と言うのは、とても珍しいこと。
蕎麦がキライなわけじゃなくて、逆に蕎麦が大好きだから。蕎麦屋に誰かを連れて行くってのは、特別なこと。だから、普段はあんまりそういうことは言わない。
家内がまた一つ歳をとった。嬉しいことなのでとっておきの蕎麦屋に連れて行った。土佐堀川沿いの小いさなお店。
蕎麦を食うという行為は、店を味わって、人を味わって、空気を味わって…、蕎麦に行き着くまでに実にいろんなものを味わう。それを煩わしいと思う人もいるかもしれないけど、これにはまるとなかなか抜け出せない。
蕎麦だって、挽き方、茹で方、かえし、薬味、様々なファクターが重なって、ようやっと蕎麦と呼べるものになる。こだわりのある店主はそれ一つ一つを吟味している。どこの蕎麦粉をどうしてるとか、鴨汁のネギはどこそこのだとか。大根はどうだ、出汁はこうだ…。
そのくせ口に入れる蕎麦はとてもシンプルで、混じり気が無いのが上等だという。不思議な食べ物だと思う。家内と行った蕎麦屋も特別仰々しい店ではない。値段もとりたてて高額ではない。ただ一口蕎麦を食べれば、この店が特別だということがわかる。
家内はこの蕎麦をおいしいと言ってくれた。そんな人を家内と呼べることを幸せに感じる。