非正規雇用の経験や長期間の転職活動の経験の無い方には実感がわかないかも知れないですが「明日をも知れぬ」日々を過ごすのって精神的にかなり滅入ります。世の中から認められていないのではないかとか、自分は考えているよりずっとちっぽけな存在なのかとか、雑念が頭の中を満たしていくもんです。この事件のキーワードである「孤独」というのは、単純に友人がいないという孤独と、世間から切り離されているという孤独、この二つの孤独のことを指していたんではないでしょうか。
そういう時に一番頼りになるのは同じような境遇の友人や家族の存在です。この二つの孤独を忘れさせてくれる存在。
私も若い頃1年間無職になっていた時期があって(日韓ワールドカップの年です)その時は掲示板で知り合った同じような身の上の仲間達と、いつかは笑えるようになるさ、自分が頑張っているのは俺達が認めるよと助け合っていました、それは救いになりましたよ。そういうことがあったからか、その頃の知り合いはほぼ全員定職にあり付けて、それなりの人生を送っています。
でももしその時仲間に出会えなかったら、ゾッとしますね。孤独に耐えながら仕事を探して、面接でチンチンにやられて、不採用通知の山が出来て、また落ち込んで、自己否定して…。幸か不幸か私の場合は病気になって、行動力とか全部そげていたんで、何も起こす気にはなれませんでしたが、精神状態は相当酷くなっていたでしょうね。
それから、なぜ事件を起こす必要があったのか、なぜ場所が秋葉原だったのか。考え付く理由は二つです。
まず事件を起こす必要性。これは悪く言うなら自己顕示欲というか、とにかくどんな方法でも構わないので、話題にのぼる程度で構わないから、今まで迫害され、輪に入れてもらえなかった何気ない、幸せな大多数の人々と関係を築きたかったからではと思っています。
例えばこの事件が無ければ、彼は大多数の人間に相手にされず、そのくせ貧乏くじばかり引かされて、明日さえ定まらぬ派遣工として一生を終えていたでしょう。そうして踏み台役を続けるのは我慢できなかった。
だから例えば今彼に「世間で話題に上っている」と言ったり、友人の死を悼み献花する人々の映像を観ても喜ぶだけでしょう。例え憎しみの感情であっても、多くの人が彼に注視している、その実感を得られるのですから。
秋葉原だったのにも理由があったんだと思います。アキバというのはオタクの聖地なわけで、いろんな欲求を満たすアイテムやグッズがあちこちにあり、そこをお金も友人もいる人達が楽しそうに闊歩しているわけです。アニメ好きの彼にしてみればアキバとそこに行き来する人達は自分が考える最も幸せな場所とその住人だった、自分と同じ趣味思考を持っていながら正反対に何もかも恵まれた人たちを、彼は何のコンプレックスも無く見ることができたでしょうか。だから殺したんです、壊したんです。最も近しく、それでいて遠い場所であるアキバを、好いている分と同じ程、ひょっとしたらそれ以上に憎んでいたかと思います。
まあ素人の与太分析なんで、あっていないところの方が多いでしょうけれど、私にはなんとなく彼がどう考え、行動したのか、なんとなく判る気がするんです。なにしろ電波系ですからねぇ…。