勝って喜び、負けて悲しみ、でもそれすらも日常の一部で、次の日からもまた、そんな日常が続いていく。
それはごくありふれた、それこそ何気ない、人生の一部。けれども、実はその何気ない日常をすごすことは、今の世の中では、とてもたいへんな事なんだと、今になって思う。
まず私達が、そんな平凡な存在でいることに、心血を注がなくてはいけなくなった。私がいろんな「変な事」が出来るのは、いろんな脇道を通ってきたからで、本当は何も出来ないでいるけれど、平々凡々とした日々を送る、そんな人でいたかった。その時点で、私が小さいころ描いていた未来と、少しずれている。
重ねて、愛するチームがこんな状況にいる。まだ二試合、されど二試合。収穫が殆ど無い180分間というのも異常な事だ。
球団の裏側にちょくちょく足を踏み入れるようになってしまって、見えてしまったのだけれど、球団もまたありふれた存在になることに、大変な労力を要するようだ。
だから少し気を抜いたり、ミスリードすればこういう流れになるってのは、頭の中では理解していたつもりだった。しかし現実として突きつけられると、やっぱり辛いね。
もし「我こそは」というサポーターがいたら、考えてみてほしい。何気ない日常としてのスタジアムを、どうすれば作れるのか。応援にしたってそうだし、チームとの接し方にしても、何か考える必要があるのではなかろうか。その結論としての千本ノックならば、別にそれはそれで構わない。さすがに物を投げるのはどうかと思うけれど。
とりあえず次のホーム、京都戦、特別な何かをしようとは言わないけれど、サポーターはサポーターとして、義務を果たそう。それぞれが出来る事をして。それでチームが結果を出さなければ、その時はその時で…。