スタメンは予想通りだったが、4-2-2-2ではなくて4-3-1-2という感じ。
実際はこの図のように等間隔ではなくて、カルロス、アレー、宮本と森島寛の間には広いスペースがあった。
このスペースは「生まれた」ものというより、意図的に「生んだ」もので、前節と同じく、前線へのボールの供給は、専守防衛を託された後ろの7人からのロングボールしかなかった。
これでは攻撃の形すら見えてこない。前の3人は相手のミスか、まぐれでいい場所に送られたフィードを待つために、ひたすら無駄な運動を繰り返さなければならず、ボールをロストしてもそれをチェイシングするだけの心身の余裕が生まれない。
また全体に距離があるため、誰かが誰かを追い越していくとか、グループで局面を打開するような連動性も出てこない。明確な攻めの形は、この節でもついぞ見られなかった。
それだけ攻撃を犠牲にしても、守備が厚いわけではない。それが面映い。
対する湘南はアジエルを軸に両サイドもこまめに顔を出し、セレッソとは対照的に攻撃のレパートリーをたくさん持っていた。守備に関しても勘所(セレッソで言えばカルロス)をしっかり抑えているので、流れの中で大怪我をすることは無い。身の丈にあったいいサッカーをしていた。
なので立ち上がり早々、前線からのチェックでボールを奪われ、浮き足立った状態のまま失点を喫した時も、特別腹立たしくなかったし、むしろセットプレー一発で同点に持ち込めたのは幸運だとすら感じた。
その前半、見事に押さえ込まれ、仕事ができなかったカルロスに代えて丹羽が入っていたが、それによって前線の孤立度はより深くなっていたように思う。
確かにカルロスは満足なプレーが出来ずにいたが、この布陣で試合の組み立てが出来る選手はカルロス以外にいなかった。それを引っ込めるのだから、代替となるプランなりを示すべきだったが、それも無かったから。
後半はさすがに湘南もペースダウンして、少し流動的な展開になってきたが、それ以上に無駄なスタミナを使っていたセレッソは、それを突く事が出来ない。苔口が一、二度強引に駆け込むシーンがあったものの、シュートまでは至らず。もう少し古橋、苔口が生きてくる使い方が出来ないものか。
その苔口の足が鈍ってくると二人目の選手交代で森島康を投入する。
しかしその森島康に対しても、送られてくるのは縦の長いボールだけで、ジャーンとの競り合いとなれば苦しい。見せ場無く試合を終えた森島康ではあるけれど、その全ての要因が、彼一人にあるわけではない。
交代による変化という意味では、最後の森島寛から酒本への交代が最も良かったかもしれない。それとて「比較的」な評価で、劇的な効果を生んだものでは無いけれど。ボールを少し長く持てるプレーヤーが前にいるので、全体のまとまりが僅かばかり良くなった程度。
こんな酷い現状で、タナボタの勝ち点1をとってしまうより、負けて精神的なダメージを受けたほうが、なぜ今チームがこれほどチームとして機能していないのかを考えるきっかけとしては、逆に良かったかもしれない。そんな考えすらよぎる試合だった。
このチームのストロングポイントは、森島寛、古橋をはじめとする個性豊かな二列目にあり、彼らを生かすために何をするべきかから逆算した方が、このチームは生きてくる。中盤にゲームメイクが出来る選手を入れたり、サイドやトップでボールをキープ出来る組み立てをしたり、策は沢山ある。それに背を向けて、ひたすら自らのサッカーに固執するのであれば、もう暫く、歯がゆい日々は続くだろう。