私はウルトラでもないし、マッタリ観戦派でもないし、かなりいい加減なところに立っていると思う。SB声出し隊自体がそもそも応援するのか観戦するのか微妙な場所で活動しているし。
しかしそのおかげでいろんな話を持ちかけたり、逆に受けたりする事が有る。それは大事なポイントだと思う。ゴール裏とSBの間に壁のあるセレサポにあって、両方と話が出来るというのは、なかなかない。
SBにいる人からは、「応援何とかならないかな」という話をよく聞く。コールが変(千本ノックetc)とか、そもそも届いてこないとか。
ところがゴール裏の人も「応援何とかならないかな」と思っている。上手くサポーターを巻き込めないな、どうしたらみんなが一つになれるんだろう、そういう話を聞く事がある。これは興味深い。壁があるにも拘らず、両者の悩みは共通なのだ。
違うところがあるとするなら、双方の理想とする応援、つまり最終目標だ。ゴール裏の究極は、スタンドにいる人が、全てウルトラ、という状態。ちょっとイメージとはズレるけれど、甲子園の様なカタチがベストにちかいんじゃないだろうか。
対してバックスタンドの理想は、皆が自然に声を出せる環境。誰かがリードするから、ではなくて、個々が判断をして声を出す。その意識を全員が共有している、というスタイル。イングランドやスコットランドなんかのスタジアムで、突然皆が同じ歌を歌いだすシーンがあるれけれど、あの感じなんだと理解している。
ベクトルの方向が違うから、双方が頑張れば頑張るほど、二つの層が解離していく。おまけに互いのやり方が違うから、お互いにマイナスの感情が生まれてしまう。
この事態を解消させる為には三つ、方法がある。
一つは極端な話で、どちらかの層が相手を駆逐して、勝ち残った方のスタイルで統一してしまうという方法。
二つ目は、二世帯住宅的方法、スタジアム内で別居してしまうのだ。ゴール裏はゴール裏というテリトリーの中で、自分達の望む方法を貫き、バックスタンドもその範囲内ではバックスタンド的なスタイルをとらせてもらいますよ、という方法。今の長居はこの状態に近いけれど、よりはっきりと別居してしまえば、相互に不快感を持つ事はない。何せこちらはこちら、あちらはあちらで、違う世界なのだから。
ただこの二つの方法は、あまりいい方法だとは思えない。これ以上の広がりを生み出す余地があまりにも少ない。「駆逐法」だとマイナスからの出発になる。
現実的で、生産性のある方法を突き詰めていくと、オーソドックスだけれど、やはりひざを突き合わせて話し合い、妥協点を見つけたり、相互理解をする、というところに落ち着く。今はそれぞれが意見をぶつけ合う場があまりにも少なすぎる。
今回サポコンが行われるらしいけれど、そういう場を継続的に持つのは悪いことではない。今決まりつつあるサポコンは、サポーターと球団との対話がメインになるだろうけれど、もし続けてやりたい、という話になれば、そういう話が議題に上るだろう。そこでどれだけ突っ込んで話が出来るかで、長居の一体感がどれ程のものになるのかが決まるはず。
ここで苦言を呈するなら、SBにいる人で、意思ある人は、億劫がらずに参加してほしいし、ゴール裏の人達は、選民意識を捨て去ってほしい。これが取り払われるだけで、壁はかなり薄くなると思うから。
みんな境遇や状態は同じではない。だから、応援の方法に違いが出るのは、むしろ自然で健全な状態だと思う。何が正しくて、何が間違えているなんて事はない。それを再確認する為だけでも、そういう場を設けた意味が有るんじゃなかろうか。