私の悪癖の一つに、「スタジアムで、近くにいるセレサポに声をかける」というのが有りまして、バカ勝ちした試合後などは特に帰りの道中声をかけまくったりしています。最初「ひかれる」方もいらっしゃいますが、大抵の人は気さくに話をして頂けます。
昨日の試合の後も、帰りの混雑したコンコースで、セレッソのマフラーをまいた小学校高学年くらいの男の子と、そのお母さんと思しき女性の二人連れが近くにいたので
「ええ試合観れたね」
と話しかけました。お母さんの方が
「そうですね。本当ですね」
と、関西弁ではないイントネーションで返事をしてくれました。聞くと地元岡山の方で、今日は苔口を目当てに来たのだとか。
「あの子はね、学生時代陸上で全国二位になった事も有るんですよ」
そう我が事の様に嬉しそうに話をされたのが印象に残っています。
プロの、しかもトップチームに入るような選手は、大抵地元では嘘とも誠ともつかないような「伝説」がついてくるようなスーパースターであったりします。私たちが嘉人の活躍に一喜一憂するように、地元の人たちもまた、彼らを一生懸命に応援しているのです。
選手達もまた、家族や、恩師や、友人や、そうしたいろんな人達の想いを背負ってプレーをしているはずです。彼等や彼等を支えている人達にとって、少しでも励みになる応援、行動を心がける事が、最終的には応援するチームにとって有益なものになるのではないか。それこそが、サポーターの本懐ではないか。昨日その親子に会ってから、そう思うようになりました。
もちろん非難の全てを否定するつもりはありません。時には「どうしたんだ!」と発破をかける事も必要です。でもそういったものにも、むしろそういったものであればこそ、根底に選手やチームに対する想いが無ければいけないのではないかと考えています。ポーズだけのバッシングははたしてチームにとってプラスになっているのか…。
とりとめも無く思いついたことを思いついたままに書いてしまったのですが、ニュアンスだけでも感じ取って頂ければ幸いです。もちろん異論反論お待ちしています。